元FMステーション編集長・恩蔵茂が語ったあの頃「FM放送に誰もが夢中になっていた1980年代は[Jポップ黄金時代]」
最後発のFM雑誌『FMステーション』の登場
『FMステーション』は、4番目のFM雑誌として、先行3誌がそろってから8年も遅れて1981年に創刊された。先行の『FMファン』はクラシック中心、『週刊FM』はニューミュージック、『FMレコパル』は初級者向けオーディオ記事をメインにして、それぞれがっちり読者を摑んでいる。
そこで『FMステーション』は、これまでFM雑誌というものを買ったことのない、中学生になったばかりの少年たちを読者として設定した。これからポップスに目覚め、FMリスナーになる層である。『FMステーション』はB5判の他の3誌よりひと回り大きいA4変型だから、番組表の曲目リストを切り取ると、ちょうど左右のサイズがカセットケースにぴったり収まるようになっている。特製カセット・レーベルには厚紙を使い、大判なので他誌のように写真やイラスト面に折り目が入ったりしていない。その他、本文中のアーティストの写真も、いちばんカッコいいのをレーベルサイズにしたりして、すみずみまで切り取ってカセットケースに利用できるようにした。
そして、表紙に起用した鈴木英人氏の、アメリカ西海岸の風が感じられるようなイラストをどんどんレーベルにした。英人さんの作品は年代の空気感にぴったりフィットして、まさしく時代を象徴するものだった。これが『FMステーション』のイメージを決定し、FMステーションの創刊から半年後にリリースされた、山下達郎の名盤『FOR YOU』にも英人さんの古き良きアメリカの街角のイラストが使われたこともあって、『FMステーション』といえばリゾート・ミュージック、シティ・ポップスのイメージが印象付けられた。(この時期、邦楽のポピュラー音楽のクオリティが急激に向上したと言った。それは天才・山下達郎とその仲間たちの力に負うところが大きかったと思う)
80年代は輝ける[Jポップ黄金時代]だった
80年代前半は、松田聖子、中森明菜、小泉今日子をはじめ、スーパーアイドルを輩出した時代でもある。「『FMステーション』はアイドルばかり取り上げてケーハクきわまりない」と“、知性派”からよく批判されたが、作・編曲のクオリティ、サウンドの新しさ、演奏技術などに虚心に耳を傾ければ、たかがアイドル歌謡とは決して侮れないはずである。
これは、かつて無理解なディレクターの粗製乱造、低予算の犠牲になった、1960〜年代の有能なミュージシャンたちがスタッフと裏方に回ったからだ。ニューミュージックの大スターが楽曲を提供し、実験的なサウンドや新しい音楽的試みをしようと思っても許されなかった(とくにロック系の)一流ミュージシャンが、潤沢な予算のなかで、かつての無念を晴らすべくレコーディングに参加していたのだ。1980年代は輝けるポップス(J―POP)の黄金時代だった。