TV音楽番組の名作『夜のヒットスタジオ』で初出演したアーティストたち<1980年・1981年>【FMステーションのあった時代】

新進気鋭のアーティストを数多く輩出した『夜のヒットスタジオ』

 1980年代、雑誌『FM STATION』を読み、音楽の知識を深め、ヒット歌謡曲だけではちょっと物足りなくなっていた音楽好きの若者の多くが、毎週チェックしていたテレビの音楽番組がこの『夜のヒットスタジオ』だ。

 『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)は1968年~1990年まで放送されたフジテレビの音楽番組。放送時間は毎週月曜日の22時から23時。歌謡曲や演歌の歌手だけでなく、テレビにあまり出演していなかったミューミュージック、ポップス、ロック系のミュージシャン、俳優、海外アーティストも数多く出演した。また生演奏、フルコーラスが基本のため、貴重なライブパフォーマンスが堪能できた。

 この番組は『ザ・ベストテン』(TBS)のようなランキング紹介番組とは異なり、ランキングには入っていないアーティストが数多く登場した。とくにシティポップ、Jポップ、Jロック、さらに洋楽まで、若者から注目を集めているアーティストが多く出演してくれることがうれしかった。

 登場するアーティストたちは、めったにテレビに出ることはなく、フルコーラスかつ生演奏。レア度の高さにドキドキしながら、多くの人が画面にくぎ付けになっていたのではないだろうか。

 『夜のヒットスタジオ』に出演する姿を見て興奮し、新しいアーティストを知る。そこで生まれた「そのアーティストをもっと知りたい、もっと違う曲も聴きたい」という欲望は止まらず、雑誌『FM STATION』を手に、番組欄や掲載記事のチェックにより力が入った人は少なくないに違いない。

 アーティストにとっては、歴史ある『夜のヒットスタジオ』に出られることは誇らしいことで、数ある歌番組中でも、この番組に初出演したとき、とても緊張したという語る人は少なくない。今回は1980年と81年のアーティストたちの初出演を解説していこう。

斬新なサウンド&映像で圧倒した「YMO」の初登場

 1980年4月には、ロックン・ロール・ミュージカルユニットのミスター・スリム・カンパニーがリーゼント姿&ツイストで『ロックン・ロール・パープー』を披露。同じ4月に松田優作が元ゴールデンカップスのエディ藩が率いるエディ藩グループをバックに『ヨコハマ・ホンキー・トンク・ブルース』『白日夢』『BONY MORINE』の3曲をメドレーで歌った。この時期は、松田優作がミュージシャンとしての活動を本格的に再開すると宣言をしていたときで、ブラウン管(当時はテレビは液晶画面ではなかった)越しにも、その熱量が伝わってくるほどの歌い手としての存在感があった。これは松田優作の唯一の『夜のヒットスタジオ』出演となっている。

 5月には、今年1月に亡くなったレジェンド・ロックギタリスト鮎川誠率いるシーナ&ロケッツが出演。鮎川誠&細野晴臣が一緒に作曲した『ユー・メイ・ドリーム』を80年代っぽいナイロン生地の赤のミニワンピースを着たシーナが熱唱している。この月にはアメリカの男性グループ、ヴィレッジ・ピープルが出演し、『キャント・ストップ・ザ・ミュージック』を歌った。

 6月には、当時海外でも話題となり新しい音楽“テクノ”の伝道師と大注目を集めていたYMOがテレビ初出演で登場した。演奏した楽曲は、『テクノポリス』と『ライディーン』。斬新な音楽に呼応するように、番組スタッフ陣も通常の放送時とは異なり、モノクロ調の反転映像を多用したり、海の映像を合成で使ったりと特別な映像処理を行い、サウンド・映像共に視聴者に衝撃を与えた。このときのサポートキーボードは藤井一子が務めているが、通常は矢野顕子の担当で、彼女は産休をとっていた。番組内で「人形」と紹介された人物は当時のYMOのマネージャーだ。司会の吉村真理は3人を「イエローマジック」、ギターの大村憲司らのサポートメンバーを「オーケストラ」と紹介している。吉田拓郎が初出演し、『あの娘といい気分』『いつか夜の雨が』を歌ったのも6月である。

 10月には、イギリスの人気女性コーラスグループ、ノーランズが『ダンシング・シスター』を披露した。当時、ノーランズは、ポップで耳になじみのいい曲とルックスのよさもあって海外のコーラスグループの中で飛び抜けた人気を誇っていた。

 12月、井上陽水が初出演。『夢の中へ』『クレイジーラブ』を披露している。夜のヒットスタジオでの井上陽水といえば、1987年に中森明菜が歌う『飾りじゃないのよ涙は』を安全地帯と共にバックで演奏とコーラスを務めたパフォーマンスが有名だ(安全地帯のリードボーカル、玉置浩二はコーラスだけじゃなくギターも弾いている)。

ここから一気に人気アーティストになった「RCサクセション」

 81年2月にはイギリスの3人組ロックバンドポリスが出演。『ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ』を披露した。武道館でのコンサートを終えたばかりという関係で、登場時からハイテンション。インタビューでは知っている日本語を興奮した様子でしゃべり続けていた。

 9日には、南佳孝が歌声を聞かせた。楽曲は映画『スローなブギにしてくれ』の主題歌『スローなブギにしてくれ』。オープニングの出演歌手たちのメドレーパートで、同日に出演していた郷ひろみにつなぐ際に、郷ひろみが南佳孝の『モンロー・ウォーク』をカバーした『セクシー・ユー(モンロー・ウォーク』を南自身が歌っている。

 16日には、フォーク系からロック系に変貌し、人気沸騰中だったRCサクセションが、他の出演者を圧倒するド派手ないで立ちで登場。迫力ある演奏で『トランジスタ・ラジオ』を演奏した。このときロックバンドなのに、なぜかバックでスクールメイツが踊っており、ロック好きを中心に話題になっていた。RCサクセションはこの出演を機に一気に全国にファンを増やしたといわれている。

 3月には、RCサクセション同様に、フォーク系からロック系にチェンジしたあがた森魚が、金色のジャンプスーツを着てVirgin VS のボーカルとして登場。演奏曲は『ロンリー・ローラー』だった。同月には、アメリカのポップス歌手、スーザン・アントンが出演し、当時カメリアダイアモンドのCMで流れていた『ホクシー』を歌った。

 4月には五十嵐浩晃が出演。自身が好きなイギリスのロックバンド、ディープ・パープルと同名の『ディープ・パープル』を披露した。同じく、北海道出身のロックンロールバンド、キャデラックスリムが出演し、『孤独のメッセージ』を演奏した。

 6月には柴田恭兵がAOR調の『なんとなくクリスタル』で登場。この曲の作詞は田中康夫で映画『なんとなくクリスタル』の上映と同時期にリリースされたが、映画とはまったく関係がない。同日、阿川泰子も初登場。アップテンポなジャズ『SKIDO-LE-LE』を歌った。

 8月には、竹田和夫率いるクリエーションが登場、当時放送されていた日本テレビの探偵ドラマ『プロハンター』の主題曲としてヒットしていた『ロンリー・ハート』を演奏。圧倒的にハイレベルの演奏テクニックを披露した。『笑っていいとも』でお茶の間の人気者になる前のタモリの出演も8月だった。サザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲したジャズ調の曲『狂い咲きフライデイ・ナイト』を歌っている。

沢田研二と派手さを競った「アダム&ジ・アンツ」

 10月には、伊藤敏博が当時オリコン5位を記録していた『サヨナラ模様』で出演。イギリスのニューウェーブバンド、アダム&ジ・アンツが当時彼らが流行させていたド派手な海賊ファッションで登場。イギリスでこの年の5月にシングルチャート5週間連続1位を記録していた『スタンド・アンド・デリバー』をボードゲームのチェスをイメージしたセットで演奏した。

 当日は、アダム&ジ・アンツだけでなく、ド派手な衣装の沢田研二が『ス・ト・リ・ッ・パー』を歌うために出演しており、まさに日英ド派手衣装対決という構成だった。11月には、映画『007 ユア・アイズ・オンリー』の主題歌を歌い大人気となっていたイギリスのポップス歌手、シーナ・イーストンが出演。番組では『涙のブロークン・ハート」を歌っている。

 12月には、オーストラリア出身のポップス歌手、オリビア・ニュートン・ジョンが世界的大ヒットをしていた『フィジカル』のプロモーションのために登場。日本のテレビ初出演を飾った。歌ったのは『ムーブ・オン・ミー』と『フィジカル』の2曲。『フィジカル』では同曲のPVで見せていたエアロビ風のダンスも披露した。

 同月、来生たかおが、『夢の途中』で出演。この曲は薬師丸ひろ子が歌う『セーラー服と機関銃』の異名同曲で、11月に『夜のヒットスタジオ』に初出演した彼女が『セーラー服と機関銃』の曲名で歌っている。この2年間だけでも、松田優作、YMO、RCサクセションなどなど数多くの大物アーティストが、『夜のヒットスタジオ』の舞台で刺激的なライブパフォーマンスをみせ、視聴者を興奮させてくれた。