1980年代、カセットテープは青春の必需品だった【FMステーションのあった時代】

 1980年代、音楽好きの若者にとってカセットテープは生活の必需品だった。聴く際はデッキに入れて、ボタンを押すだけ。レコードほど丁寧に扱わなくてもいい。録音はプレーヤーやチューナーがデッキと接続されていたら、こちらもボタンを押すだけ。

重ね撮りで何度も使用できる、学生にも手が届くリーズナブルな録音メディア

 値段もノーマルテープだったら学生にも手が届く価格(1984年9月時点でTDKのノーマルテープAD60の標準小売価格は550円)だった。安くなる6本セットなどのまとめ販売もあった。音質は落ちてしまうが、重ね録りをすれば、使いまわしもできた。

 ただカセットテープには難点があった。日差しが強いところに置いたままにしたり、または曲の頭が確認できるようにと音を聞きながら再生ボタンと一緒に早送りボタンを押しこれを繰り返す、するとテープが伸びてしまうのだ。伸びた状態で再生すると音は間延びした状態になる。その際の応急処置はカセットテープを冷蔵庫に入れて冷やす。テープが若干縮まり少しはまともになる……そんな経験をお持ちの方は、間違いなくオリジナルカセットテープづくりのツワモノの一人だったといえる。

タイトルは英文字表記が必須!部屋のインテリアにもなったカセットレーベル

 以前書いた「ダブルカセットデッキで没頭した『マイベスト』なオリジナルカセットテープ作り」(関連記事を読む)のようにカセットテープはドレスアップも楽しかった。大げさにいえば部屋のインテリアのひとつとしての役割があったので、かなり力が入れてドレスアップに励んだ。雑誌『FM STATION』に付いていた厚紙のカセットレーベルは6枚。これは貴重品で特別なテープ用だ。他にもドレスアップに使えるアーティスト名インデックスやケースの背に入れて使える写真があったが、カセットテープの数が増えていくにつれ、これでも足らなくなってくる。

 そうなると、もっぱらケースの背も側面も、自らの手書きになる(発売されたカセットテープには、背や側面にタイトルや曲名を自ら書き入れるスペースをとったレーベルがついている)。

 鉛筆書きなんてかっこ悪い、ボールペン書きだ。プラス、当時は欧米の文化にかっこいいと憧れる人が多かった時代。日本語ではなく英文字表記でいきたい。さらにその英文字表記も筆記体でいくのがかっこいいといわれていた。ちなみに筆記体は2002年から学校教育で必須ではなくなり、10代・20代では書けなくても不思議でないとか。スペルを間違え書き損じしないように、何度も別の紙に下書きをし、いざ清書。うまくいったときの喜びはとても大きかった。カセットテープケースを重ね部屋に飾り、ニヤニヤしたものだった。

 カセットテープは自分で聴くのもいいが、恋人や友人へのプレゼントにもよかった。その際には、特別感を込めて『FM STATION』のカセットレーベルを使用した人も多いのでは。例えば好きになった子が「最近、杏里が好き」と言っているのを聞いたら、話すきっかけに「これって自分が好きな曲で作った杏里のオリジナルベストなんだよね」と言って渡したり、または転校していく友人に「あなたとの思い出の曲を入れたオリジナルテープ」と言って渡したといったようなカセットテープを特別なプレゼントにした体験を持つ人も少なくないと思う。

『ウォークマン』でいつでも・どこでも・好きな音楽を楽しんだ

 カセットテープの大きな功績の一つは、聴きたい音楽を屋外に持ち出せるようにしたことだ。レコードを外で聴くのは難しいし、ラジオでは聴きたいときに自分の好きな曲は聴けない。しかしラジカセならば屋外に持ち出せた。その状態をさらにランクアップさせる画期的な存在が1979年に登場することになる。ソニーのポータブル型カセットプレーヤー『ウォークマン』の誕生だ。カバンに入るぐらいのコンパクトなサイズのため、歩きながらでも自分の聴きたい曲が楽しめるようになったのだ。各社からも同じようなポータブル型カセットプレーヤーが登場し大ヒット。カセットテープに録音しておけば、どこでも好きな時に好きな曲が楽しめるようになったのだ。

©ソニーグループ株式会社

カセットテープがある車内は自分だけのカラオケボックスになった

 カセットテープはクルマとの相性も良かった。ドライブの目的に合わせて作ったカセットテープを車内で流し、雰囲気を盛り上げる。ドライブの楽しさは一段とアップした。さらに車内は外に音が漏れないので、普段部屋で聴くときよりも大音量で聴けた。周りを気にせず曲に合わせて大きな声で歌うこともでき、まるでカラオケボックスのような空間だった。(そしてこれは、いま現在においても変わらない文化になっている!)

 部屋で、屋外で、そしてクルマの中で、カセットテープから流れる音楽は、若者たちの青春のBGMとなり、当時の思い出をさらに深いものしてくれたのだ。